富士河口湖で始める地方移住・二拠点ライフ ― 住んでわかる町の魅力
掲載日:2026年2月15日
「訪れる場所」から「還る場所」へ。東京から移住し、農業やレストラン経営に挑む2人のリアルなストーリーを紹介。地域に溶け込むコツや冬の寒さ、仕事の確保まで、住んでみて初めてわかった町の素顔とは。富士山のふもとで自分らしい暮らしを叶えるヒントを届けます。
「訪れる場所」から「還る場所」へ。富士山のふもとで、移住者が紡ぐ暮らしの風景
富士山と湖に囲まれた富士河口湖町。世界を魅了する観光地であるこの町はいま、豊かな自然を背景にした新たな「暮らしの舞台」として選ばれています。
本特集では、この地の風景に惚れ込み、移住という一歩を踏み出した人々の物語をご紹介します。彼らは町の風景に溶け込み、地域の人々と手を取り合うことで、この地に新しい価値を吹き込んでいます。
そして移住者が紡ぐ暮らしの風景は、旅人の心をも温めるこの町の新たな魅力となっています。富士山のふもとで生まれる温かなつながりを通して、住んで初めてわかる町の真髄に、触れてみませんか。
富士山麓での新しい生き方。東京から移住した植野景吾さんが選んだ「農」ある暮らし。
【植野景吾さんプロフィール】
東京都世田谷区出身。都内の企業で働いた後、農家を志し2022年に地域おこし協力隊として富士河口湖町へ移住してきた。大石地区の農家での3年間の研修を経て、2025年に農家として独立した。
都会の喧騒を離れ、自然と共に生きる道へ
東京で生まれ育ち、大学卒業後は都内の企業で働いていた植野さん。順調なキャリアを歩む中で、次第に「もっと自分らしい生き方があるのではないか」という想いが芽生え始めたと言います。「元々、自然や食べることへの興味が強かったんです。コロナ禍だったこともあり、リモートワークで一日中パソコンに向かう日々が続き、『もっと外に出て、体を動かす仕事がしたい』と強く思うようになりました。色々な選択肢を考える中で、自然と『農業』という道が浮かんできたんです」
農業を志した植野さんが移住先に選んだのが、富士河口湖町でした。決め手となったのは、町の「地域おこし協力隊」制度。この制度を利用すれば、3年間の研修期間中、給料をもらいながらベテラン農家のもとで農業の基礎を学ぶことができます。「全国の自治体で募集がありましたが、富士河口湖町では面接の前に1日間の農業体験ができたんです。その時に出会った農家さんの考え方に強く共感し、『この人のもとで学びたい』と直感しました」
農業経験ゼロからの挑戦。しかし、植野さんの決意は固く、東京でのオフィス生活に終止符を打ち、富士山麓での新たな生活をスタートさせました。
地域に溶け込むということ。移住して見えた町の素顔
地域おこし協力隊としての3年間、植野さんは3軒の農家を1週間交代で回り、様々な作物の栽培技術を学びました。ゼロからのスタートだった植野さんを温かく迎え入れてくれたのは、研修先の地元の農家さんたち。「皆さんすごく優しく、丁寧に教えてくれました。技術的なことはもちろん、農業を営む上での心構えや、地域との関わり方まで、多くのことを学ばせてもらいました」
都会とは違う独特の距離感に、最初は少し寂しさを感じることもあったと言います。「挨拶をしても、すぐには返ってこないこともありました(笑)。でも、それは決して無愛想なわけではなく、そういう地域性。こちらから一歩踏み込んで、『今日は何の作業をしているんですか?』と話しかけると、とても気さくに、色々なことを話してくれるんです」。
研修先の農家さんを介して、地域の方々との輪がどんどん広がっていくのを実感したそうです。地域に溶け込むために大切なのは、自ら心を開き、相手に興味を持つこと。協力隊という肩書きが、地域との橋渡し役になってくれた側面もあると植野さんは振り返ります。一方で、生活面でのギャップもありました。「冬の寒さは想像以上。家の気密性が低いと、暖房が効かずに大変な思いをすることもあります。移住を考えている方は、住まいの断熱対策はしっかり考えた方がいいです。スーパーの品揃えは都会と変わらず、生活に不便を感じることはありませんが、観光地なので週末や連休は道路が渋滞することもありますね」
農業の魅力と、これからの目標
2025年4月、3年間の研修期間を終え、晴れて独立した植野さん。現在は、夏は農業に専念し、冬は茅葺き屋根の材料となる茅(かや)を刈るアルバイトなどをしながら生計を立てています。農業の魅力について尋ねると、「働き方が全く違うことですね。デスクワークではなく、外で体を動かして働く。大変なことも多いですが、自分にはこのスタイルが合っていると感じています。そして、何より富士山や河口湖の美しい景色を毎日見ながら仕事ができるのは、本当に贅沢なこと」。夕日に照らされる河口湖のきらめき、四季折々で表情を変える富士山の雄大な姿。そんな絶景が、日々の疲れを癒してくれる最高の「ご褒美」なのだそうです。
今後の目標については、「まずは農業だけでしっかりと生計を立てられるようになること」。しかし、その先には大きな夢も描いています。「冬の間に何か新しいことに挑戦したいと思っています。例えば、この地域に伝わる『スズ竹細工』という伝統工芸があるのですが、後継者が不足していると聞きました。農業と両立しながら、そういった地域の文化を守っていくことにも関われたら素敵だなと思っています」。
最後に、移住を考えている方へのメッセージをいただきました。「移住を考える上で、仕事の確保は一番大きなハードルだと思います。でも、この町には農業だけでなく、観光業や宿泊業など、様々な仕事の可能性があります。東京からのアクセスも良いですし、移住のハードルは高くないのが大きな魅力。何より、富士山と河口湖という唯一無二の環境があります。少しでも興味があれば、まずは一度訪れて、この町の空気を感じてみてほしいですね」。
食べて・呑んで・泊まれるイタリア料理レストラン経営の長瀧貴寛さんが追求した人間らしい暮らしのカタチ
【長瀧貴寛さんプロフィール】
愛媛県宇和島市出身。東京やイタリアプーリア州のイタリア料理店での修行を経て、2011年に山梨県へ移住し、ケータリングサービスを開始。2019年イタリア料理レストラン「ALBERGO del otto」を夫婦で開業した。
東京の「戦場」で見失いかけた、人間らしい時間
長瀧さんの料理人としてのキャリアは、実に35年。「20代で上京した当時は『料理の鉄人』全盛期。東京のレストランは、まさに戦場でした」と長瀧さんは振り返ります。恵比寿のイタリア料理の名店での修行時代、叱られるときを除いて指示もオーダーもすべてイタリア語という環境下で、プロとしての厳しさと誇りを叩き込まれた日々は、今の長瀧さんの血肉となっています。その後プーリア州を起点に3年間のイタリア修行を経て、再び東京に戻り、レストランで働いていた時、ある思いが芽生え始めたそうです。
「イタリアでは、人々がもっとゆったりと、暮らしていました。翻って東京の生活は、家にはただ寝るために帰るだけ。素晴らしいレストランはたくさんあるけれど、人として何か大切なものを見失っているような気がしたんです」。そんな中、2011年に発生した東日本大震災が大きな転機となります。当たり前の日常が揺らぐ経験を経て、長瀧さんは夫婦で東京を離れる決意を固めました。
移住先に選んだのは、以前から趣味のウェイクボードで頻繁に訪れていた山中湖・河口湖エリアでした。仕事が終わってから車を飛ばして湖へ行き、朝滑ってから東京へ戻って出勤するという生活を続けていた彼にとって、この地にはすでに多くの仲間がいて馴染みの地となっていたのです。
移住して見えた町の素顔。不器用で温かい「人」に支えられて
移住した当初は、ケータリングサービスを中心に活動していた長瀧さん。しかし、2019年に大きな転機が訪れます。現在の店舗物件との出会いです。「最初は店を持つつもりはなかったんです。でも、この場所に座って景色を眺めていたら、ふと、いいなと思えて。当時はコロナ禍の入り口で、ケータリングの仕事が激減し、月収が数万円という時期もありました。でも、『これ以上悪くなることはないだろう』と腹を括ったんです」。そして2019年、食べて・呑んで・泊まれるイタリア料理「ALBERGO del otto(アルベルゴ・デル・オットー)」を夫婦でオープンさせました。店名の「otto(オットー)」はイタリア語で「8」を意味します。愛猫の「はちわれ」や、店舗の住所の数字を足すと「8」になること、そして横に倒すと無限大(∞)の「8」に見えること。さまざまな縁が重なり、末広がりの願いを込めて名付けたそうです。
実際にこの地で店を構え、生活を営む中で、長瀧さん夫妻はこの町の本当の魅力に気づかされたと言います。「地元の人はよく『ここには何もない』と言いますが、探せば素晴らしい食材がいくらでも見つかる。個人的な付き合いで仕入れる新鮮な魚や、マニアックな西洋野菜を作っている近所の農家さんの新鮮野菜、それを料理するのが本当に楽しいんです」。
そして何より、長瀧さんを支えたのは「人」の存在でした。「こちらの人は少し不器用。でも、一度懐に入ってしまえば、家族のように接してくれる温かさがあります。オープン当初の苦しい時期も、マリンスポーツの仲間や近所の方々が『店を潰しちゃいけない』と、何度も足を運んでくれました」。また長瀧さんは、移住を検討している方へのアドバイスとしてこう語ります。「一回飛び込むだけではダメ。しつこいくらいに自分から関わっていくこと。そうすれば、必ず誰かが助けてくれますし、新しい縁を繋いでくれます」。
目標は、ワイン県・山梨に「日常のバル文化」をつくること
35年間の料理人人生を経て、長瀧さんの情熱は、さらに新しい方向へと向かっています。「来年あたり、立ち飲みスタイルの『バル』を作りたいと考えています。山梨県は日本を代表するワイン県ですが、地元の人が日常的にワインをグラス一杯から楽しむような場所は、まだ少ないと感じています」。
高級なボトルを開けるのではなく、仕事帰りにふらりと立ち寄り、地元のワインと少しのつまみで一息つく。そんなイタリアのような、ゆったりとした日常の風景を、この町にも広めていきたい。そのために、東京から移住してくる新しいスタッフも決まっているそうです。「人と人とが繋がる場所をもっと増やしたい。私がこの町の人たちに助けてもらったように、今度は私が、新しい出会いの場所や、誰かの居場所を作っていければと思っています」。
富士山のふもと、富士河口湖町の澄んだ空気の中で、長瀧さんは今日もフライパンを振っています。そこにあるのは、都会にはなかった、確かな手応えのある暮らしと、未来への希望に満ちた笑顔でした。
「暮らしの風景」が旅の記憶になる。人と地域の絆が、この町の新しい価値を創る
本特集でご紹介した方々のように、この地に惹かれて移住した人々は、単に新しい生活の場を求めてきただけではありません。彼らは富士山麓の豊かな自然と、そこに暮らす人々の中に溶け込み、手を取り合うことで、この町に新しい価値を吹き込んでいます。
こうした日常の営みや人の温もりは、観光で訪れる方々にとっても、景色以上に深く心に残る旅の記憶となるはずです。富士山のふもとで育まれる、新しい住民と地元の絆。それこそが、富士河口湖町が紡いでいくこれからの物語であり、最大の魅力なのです。
この町には、ただ眺めるだけではない、共に生きる喜びが溢れています。
- 住所
401-0305 山梨県南都留郡富士河口湖町大石2123-8
- アクセス
車の場合:
中央自動車道河口湖ICから国道137号線経由で河口湖美術館左折10分
電車・バスの場合:
富士急行線河口湖駅からバス25分- 時間
レストラン:18時から20時30分(ラストオーダー)
宿泊:チェックイン16時、チェックアウト10時
定休日:火曜日・水曜日- お問い合わせ
電話番号:0555-73-9243
公式サイトURL:ALBERGO del otto